日本の旅 北海道、北方領土に面する世界遺産・知床半島と納沙布岬(by さすらいおじさんさん)
知床半島は、北海道の東北端に位置する、長さ約70?、幅約25?の細長い半島で先端、知床岬から知床岳、硫黄山、主峰の羅臼岳へと知床連山が続く。半島の東側は根室海峡に面し、わずか約20?先は北方領土の国後島。私は冬の知床をまだ見ていないのだが、西側はオホーツク海の流氷が沿岸を埋め尽くすそうだ。
知床半島は、海抜Omの海岸から、標高1500mクラスの山岳地帯まで草原、渓流、森林、湿原、湖沼など様々な自然が見事に調和している。2005年7月14日、南アフリカ共和国ダーバンでの第29回世界遺産会議で、めでたく世界自然遺産に登録された。これからもこの素晴らしい自然が生き続けることを願っている。
2002年7月にはオシンコシンの滝と知床五湖を観光した。
オシンコシンとはアイヌ語で「オシュンク・シン」(そこにエゾマツの群生するところ)の意味だそうで落差80mある滝は二つに別れ「双美の滝」とも呼ばれている。日本の滝100選にも選ばれている豪快で美しい滝だ。
知床五湖には原生林に囲まれた幻想的な5つの湖を一周できる遊歩道がある。この日はあいにくの雨だったが、第一湖、第二湖を見学した。
知床半島から根室半島の納沙布岬に向かう途中では白鳥が飛来する風蓮湖を見たがこの周辺では国後島が良く見えた。また納沙布岬の北方館の望遠鏡からは歯舞群島の水晶島のロシアの監視所が見えた。北方領土の歯舞群島(はぼまいぐんとう)、色丹島(しこたんとう)、国後島(くなしりとう)、択捉島(えとろふとう)の4島には1945年8月15日の敗戦時には約3000世帯17000人の日本人が住んでいたそうだが、旧ソ連により本土への移住を強制されている。ロシアの2003年の統計では歯舞群島には居住者は無いがその他3島に約14000人のロシア人が居住しているそうだ。日ソ平和条約の締結条件である北方領土問題解決のための返還運動は国後島のムネオ・ハウス問題後、下火になったように見える。北方領土は1945年の敗戦まで他国の支配を受けたことが無い、我が国古来からの領土であり(アイヌ民族の中にはアイヌの領土であり、日本に侵略されたと異論を唱える人もいるが)一日も早く返還してほしいものである。
(写真はオシンコシンの滝)
出張 国後島・色丹島(by TOMAさん)
船会社に勤めている関係で
人道支援物資を届ける仕事に
同行して国後島と色丹島へ
行きました。一応、出張です。
日本の固有の領土とは言うけれど、
パスポートの代わりに外務省で
”入域証”を作ってもらって
国後島の古釜布(フルカマップ)で
徹底的に検査され入域。
国後島を経由して色丹島へ。
色丹島の穴間という港。
入り江の入り口が狭く、
奥に大きく広がっていて
天然の良港。 港内は鏡のよう。
しかし、1991年の千島列島地震の
津波で壊滅的な被害を受け、
港内には沈没船が無数にあった。
自分達が乗った大型船の係留施設は
なく、良さそうな沈没船に係留索を
取って碇泊させた。
そんな色丹島である人が作った
発電所に燃料を届けに行ったわけです。
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色丹島(しこたんとう)は、北海道の根室半島の東に浮かぶ島。
北方領土問題で「二島返還論」などというときの二島とは、色丹島と歯舞諸島のことであるが、その合計面積は北方領土全体の7パーセントにすぎない。
明治10年代に北千島の占守島や幌筵島、及び中部千島の羅処和島に居住していた千島アイヌ(”クリル人”)の人々が色丹島に強制移住させられた。これは根室から遠く離れた絶海の孤島では監督も行き届かず、当時、盛んに千島に出没する外国の密猟船に対して便宜を与えるおそれがあったことと、千島アイヌは風俗・習慣共に著しくロシア化していて、殆どロシア人と変わることなく、こうした者を国境近くに置くことは、同化が困難であるばかりでなく、国境を正すことにもならず、むしろ危険にさえ感じられたためである。移住したクリル人に対しては農地が与えられ、また牧畜や漁業も奨励されたが、元々が狩猟民であった彼らは慣れぬ農耕に疲弊し、多くが病に倒れ命を失ったという。
色丹島の詳細